悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)
- 作者:魚川 祐司,プラユキ・ナラテボー
- 発売日: 2016/10/28
- メディア: 新書
苦しまなくて、いいんだよ。 と 仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か― の著者による対談。
瞑想が「悟り」を目的にしているというのを前提にした上で、「悟り」を目指さない実践的な現実の問題解決のために瞑想を取り入れようとしている人向けの入門書。
智慧
- 様々な目的地(悟り)に至るための、様々な道のり(修行方法)があると理解して自分にあった瞑想法を取り入れる
- 瞑想をすれば、(直接的に)人格が「よく」なるということはない
- 現実のための瞑想をしたい人は、一瞬一瞬に生成消滅するrealityではなく生活世界におけるactualな現実が問題
- 過度な集中により現実を「解体」されすぎると、物事の連続性がなくなり、何も楽しむことはできない
- 無我を知るのはz軸を立てること
慈悲
- 輪廻転生を事実として捉えるかによって「渇愛」を滅尽させるべきかが変わる
- 輪廻転生が続くから解脱を求めるが、そうでないなら「この一生」で欲を満たすことを捨てきれない
- 仏教の無我説では自他の区別がなくなり共感できる(大切なのは共感しても巻き込まれないこと)
- 知・情。意にはたらきかけ、慈悲の心を育てる
- 知 - 心のシステムの理解
- 情 - 需要的な対応
- 意 - 抜苦与楽の具体的実践
自由
- 仏教的な自由は「内的な自由」。内的な思考パターン、感情や記憶、心の癖などに支配されていないことが重要
- 瞑想するとうまくいくのではなくて、瞑想するとうまくいかなくても気にならなくなる
- 結果としてうまくいくこともあるかもしれない
- 智慧と慈悲の向上と向下の道の往還が大切
外的な原因や条件によって喚起された「世間と波風を立てたくない」とか「人々からよく思われたい」とかそういった思いや欲望に隷属せずに、言うべきを言い、為すべきを為す、というのが、無我を知ることによって得られる仏教的な自由の意義